2008/09/24

山手線で新田一郎

久しぶりに山手線に乗った。ちょうど代々木を出て新宿に着こうかというころ、ipod代わりに使っているiphoneから新田一郎の歌が聞こえてきた。曲をシャッフルしていると思いがけない曲がかかるので面白い。

さて、新田一郎である。知るヒトぞ知るというお方なんですが簡単に言うと30年くらい前に「スペクトラム」というホーンセクション中心のバンドを組んでいて、解散後はソロで数年歌ってたヒト。他アーティストのプロデュースとかもしてましたがサザンの初期の楽曲(「いとしのエリー」とか「Ya Ya」とか)の編曲なども手がけてました。

「ピアニシモのように」という曲を久しぶりに聞いた。バラードなんだけど、やっぱいい。すごくいい。1982年の曲、26年前だ。古臭く無くむしろ新鮮に聞こえた。26年前、高校生だった俺はちょうどこの山手線で通学していて、今考えると信じられないくらい大きいSONYのウォークマンでこの曲を聴いていた。(弁当箱みたいなウォークマンだったんだけどそれを愛用していたのだ。)自分がトランペットをかじっていたから新田氏は神様みたいな存在だった。コンサートにも何度も行った。新田さんが西部劇のガンマンのようにクルクルって片手でトランペットを廻すのが格好良くて、それを真似してクルクルやったら失敗してペットをすっ飛ばして壊した事もあったよなぁ、などと、この曲が耳に流れてきただけでなんだか昔の事が山のようにフラッシュバックしてきた。まるで走馬灯のように、って、俺死んじゃうのか?ってくらい頭の中をいろいろ駆け巡った(笑)

この通学路で、この曲を聴いていた26年前の俺は何を考えていたのかな。この歌詞の意味さえも多分リアルにはわかってなかったんだろう。でも新田氏のこの曲が一番好きだった。学生服着て真面目に帽子をかぶり、教科書など入っていない無理矢理つぶしたカバンには弁当箱のようなウォークマン。まぁ、その時の俺は26年後の自分がこうなってるとは微塵も予想していなかったのは間違いない(笑)

「ピアニシモのように」
作詩:山川啓介 作曲・編曲:新田一郎

明日また会うみたいに さりげなく別れて行こうよ
歌い終わった愛の ピアノの蓋閉めて
僕たちの生きた日々は コンサートにどこか似てるね
悔いのない想い出と やり残した夢と

君はちょっと優しすぎる それだけが気がかりなのさ
心に雨が降りしきり時には 電話でもくれないか
寂しさが僕の中で 想い出のワインに変われば 
今は言えない言葉 歌えるだろうキミに

ギターの弦(いと)変えるように 心も変えられたらいいね
もう一度君と巡り会って愛を 歌い直せるのに
君の眼ににじむ涙 それがコンサートの終止符 
さよなら代わりのキス ピアニシモにしよう ピアニシモにしよう